コラム 私の5月3日 小原 紘

「韓国通信」発行人の小原紘さんからコラム「私の5月3日」の投稿をいただきました。小原さんは労働組合に対する激しい破壊、差別攻撃をうけた日本信託銀行労組で労働組合を守る闘い積極的に闘われました。1960年代後半以降地銀連、全相銀連、全信労など金融機関労働組合は経営者による組合分裂・破壊・経営者の意に従う「御用組合」化攻撃を受けました。日本信託銀行でも激しい攻撃を受け、闘う組合に結集する労働者は職場で差別され、その不当な差別に対する闘いもたたかわれました。小原さんは当金融・労働研究ネットワークの前身である銀行労働研究会が発行していた「ひろば」No690(1981年5月15日号)に「私と朝鮮語の出会い」というエッセイを執筆されています。このエッセイの中で小原さんがなぜ朝鮮語を学ぶのかを説明し、明治維新以来の植民地政策の中で日本が侵略してきた朝鮮の人々のたたかいに触れて、「多くの日本人の意識の中に、同じアジア人に対する蔑視、なかでも朝鮮人に対する偏見に満ちた朝鮮感を生み、戦後36年をへた現在でも残っていいる現実とは、いったい何なのでしょうか」と問いかけています。それは、日本信託銀行労組員を差別する第2組合や非組合員の「差別意識」が、「他者を差別し貶めているという自覚」にどの程度基づいているのかという問いかけとなります。自らが、正当な権利を主張したがゆえに受ける差別と、日本人の中に作り上げられているアジアの人々とりわけ朝鮮の人々への偏見・差別と重ね合わせて「差別」が無意識のうちに形成されることを指摘されていました。いただいた「私の5月3日」は「韓国通信 코리아리포트 」からの寄稿で「since2004.11」とあり「NO744」と記されています。小原さんの「韓国通信」の根底に日本信託労組の不当差別撤廃のたたかいがあることを改めて考えます。

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